見沼と竜神ものがたり(2)



ある日のことです。村人たちが腰を抜かすような出来事が起こりました。

八代将軍吉宗の命令で井沢弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)というお侍が江戸<今の東京>からやって来て、「これから見沼の水を抜いて(干拓)田んぼにする」と言うではありませんか。

「見沼の水がなくなったら生きていけなくなる」

村人たちは大騒ぎです。竜神のたたりもあるに違いありません。


弥惣兵衛が見沼に来たのには訳がありました。

その頃、幕府の財政は大そう苦しくなっていました。

また江戸の人口は百万人にも増え、食べるお米が足りなくなっていました。

そこで吉宗は各地に新しい田んぼを増やし、少しでも多くのお米を作ろうと計画したのです。

弥惣兵衛は吉宗にその任務を与えられ見沼にやってきたのです。


弥惣兵衛は将軍吉宗が心から信頼する家来で優れた土木技術の持ち主でした。

弥惣兵衛は反対する村人たちの意見をよく聞きながら、見沼の代わりに利根川から水を引く計画も話し、根気よく説得しました。

少しも偉ぶらない、誠実な人柄の弥惣兵衛の話に村人たちは安心し、やがて皆協力することになったのです。


いよいよ工事に取りかかる日が近づきました。
工事の準備と村人たちの説得に疲れ果てて、降雨時の詰め所だった大日堂(だいにちどう/大宮区天沼)でとうとう病に伏してしまいました。

そんなある番、寺で寝ている弥惣兵衛の枕元にどこからともなく美しい娘があらわれ、工事を始めるのを九十日間延ばしてくれれば、必ず病気を治してあげるというのです。


この娘の話を聞いていた家来は障子を少し開けて覗いてみました。


美しい娘どころか、大きな白い蛇が弥惣兵衛の体を真っ赤な舌でぺろぺろとなめ回しているではありませんか。

美しい娘は竜神の使いだったのです!

竜神は沼の生き物たちや自分の棲むところを決めるまで工事を延ばしてほしいと思ったのです。


このことがあって、気味悪がった弥惣兵衛は詰め所を万年寺(ばんねんじ/見沼区片柳)に移しました。そして娘の言うことを聞かず計画通り工事を始めてしまいました。

干拓には大勢の村人の手を借りなければならなので、農作業の暇な冬の間に工事を終わらせないと春の田植えができなくなってしまうからです。

ところが、工事が始まるとたびたび大雨が振り、洪水で土手が崩れ、せっかく造ったものも次々壊されてしまいました。

村人たちは、口々に「竜神様のお怒りだー!」「竜神様のたたりじゃー!」と言って恐ろしがりました。

そんなある日のことです。

万年寺で夜遅くまで工事の絵図面を見ていた弥惣兵衛のもとへ、今度は別の美しい女が訪れ、「沼に棲む生き物たちみんなの願いです。どうかこの干拓工事をやめてください」と涙ながらにたのみました。

弥惣兵衛がふと、後ろの障子を見ると、行灯の明かりに揺れる女の影は・・・

なんと!恐ろしい竜そのものだったのです。

見沼の竜がやってきたことを知った弥惣兵衛は、「多くの人間の命を救うためにはたくさんの米が必要なのだ。

見沼の干拓を止めるわけにはいかないのだ」と竜神の申し出を断りました。

すると「見沼を干拓すれば沼の生き物はみんな死ぬであろう。人間だけが生きられればそれでいいのか、勝手な人間どもめ!許さんぞ!お前たち人間どもを」と竜神の怒りの大声がとどろき、弥惣兵衛の体は何かに締め付けられて身動きできなくなってしまいました。


弥惣兵衛は「利根川の水を引いて用水路を作り、沼の生き物たちが棲めるようにし、できるだけ自然を壊さないようにしよう。

この工事が終わったら私は食われても構わない、この命を竜神に捧げよう・・・。

だからこの工事を何とか続けさせてくれ」と必死に頼みました。

静かな時が流れ、竜神の穏やかな声が聞こえてきました。

「お前の気持ちはよくわかった。見沼を人間に預けようぞ!精一杯やるがよい」

すると、それまで締め付けられていた弥惣兵衛の体はスーッと楽になりました。


竜神は、弥惣兵衛が命がけで仕事に取り組む姿に感心して見沼を明け渡す決心をしたのです。
それからというもの天気の良い日が続き、工事は計画通り半年もかからず、沼を田んぼに変えることができまし
た。

八丁の堤を切って沼の水は抜かれました。新しい用水路に利根川の水も流れてきました。
弥惣兵衛と、村人たちの努力が実ったのです。


そうして・・・大きな沼は広い田んぼになりました。「見沼田んぼ」です。
竜神は沼の水を干すと同時に天に昇りました。
完成した見沼田んぼを空からみた竜神は、見沼の空を大きく舞いました。
それを見た弥惣兵衛や家来、村人や子供たちまで[竜神様ー」「ありがとうございました」と手を振ってお礼を言いました。

今でも竜神は空からさいたま市を見守っているのです。

<終わり>
inserted by FC2 system