見沼と竜神ものがたり(1)




「見沼田んぼ」は江戸時代の中頃まで、大きな沼でした。

田畑を耕すのに必要な水を八丁(約860m)もの長い堤をせきとめてできたこの沼は「見沼溜め井」と呼ばれていました。

日光の中禅寺湖にも負けないほど大きなこの見沼は、江戸時代の初めに徳川家康の命令で作られたといわれています。

その見沼は、田畑をうるおすだけでなく、フナやシジミ、ウナギなども沢山とれました。



村人たちは、ゆたかな恵みを与えてくれる見沼に感謝して暮らしていました。

子供たちも魚釣りをしたり、泳いだり、水遊びのできる見沼が大好きでした。

この見沼には昔から、「見沼の主(ぬし)」といわれる竜神が棲(す)んでいるといわれていました。


いつも静かな見沼も、ひとたび台風が来ると、激しく波立って、船を転覆させたり、雷鳴がとどろき、大雨が降ると洪水で村人を困らせていました。

村人はそんなとき「竜神様のたたりじゃ」と叫びながら、力を合わせて家や田畑を守りました。


激しい雨や風もやんで青空に戻ると、「また竜神様を怒らせないようにがんばろう」と言って、自分たちを戒めていました。

竜神は自然の力を使って、村人たちに怠けたり、悪いことをするとたたりがあることを教えていたのです。


見沼の周りにある神社の中で、高鼻(大宮区)の氷川)神社[男体社(なんたいしゃ)]と宮本(緑区)の氷川女體(ひかわにょたい)神社[女体社(にょたいしゃ)]は、ともに武蔵一宮(むさしいちのみや)と言われ、ふたつの神社の間には、その子といわれる中川(見沼区)の中山神社[王子社]があります。

この三つの神社は、なぜか不思議なことに見沼を見守るように一直線で結ばれているのです。


その神社の中で竜神をまつるお祭を遠い昔の平安時代から行っていたのは氷川女體神社です。

祭の日には沼の一番深いところに竹を四方に立ててしめ縄をはり、おみこしを船にのせて行き、お祈りをしていました。

そのあたりは、今でも「四本竹(しほんだけ)という地名で残っています。

その祭は「御船祭(みふねまつり)」といいましたが、形や名を変えて、現在も行われています。

 続く
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